1000の晴れ

そのまままの自分で生きる私の素直な表現

息子を怒った時の罪悪感の元。

息子にイライラするのって自分が満たされてない時だって気がついた。

 

息子のせいで〇〇できない。

好きな時に好きなことできない。

したくないこと(戦いごっこなど)をしなきゃならない。

 

そういうのが嫌で嫌で。

 

嫌でも、すごいイライラして怒るか、そうでないかの差は自分の状態。

 

だから、我慢しない・自分を満たすということをやっていればイライラもしないし息子に怒ることもそんなにないんだって気づいた。

 

だから、今それを丁寧にやっていて。

たしかに自分が満たされてると息子へのイライラは少ないと実感中。

 

今日はその話ではなくて、息子にイライラして怒った時の罪悪感について書く。

 

息子にイライラして不必要に怒った時。

やってはいけないことをやってしまった、息子にいらんインナーチャイルドを作ってしまった。

 

そういう風に思うこと。

 

そういう風に思う必要がないのは頭では十分に分かっているのだけど、やっぱり体レベルでそういう思考になっちゃから。

 

なんでかな、って色々書き出して眺めてみた。

 

親に不要に怒られて育った子は自己肯定感が低い子になるという思い込みと、息子にそうなってほしくないという思い。

 

なんでそう思うのか?

 

自分が自己肯定感低くてしんどい時期があったから。だから息子にもそんなふうになって欲しくない。そういう思考回路のようだ。

 

そう、結局自分が、自分の自己肯定感の低さや、そこからくる過去のいろんな出来事を全肯定していないってことなんだ。

 

過去のしんどかった出来事はだいぶ消化されて、そんなにしんどさ感じてなくて。肯定してるって自分でも勘違いしていた。

 

別に全てを無理矢理肯定する必要はないんだけど、過去の色々は今に繋がるただのプロセスであって。そのプロセスを否定することは今の自分の否定にも繋がるんだなって思った。

 

 

過去があるから今がある。

どの出来事も今に繋がっていて、私を私たらしめてくれているものなんだけど。

 

どうしても、過去と今を分離させて見て、過去を否定するところがあるんだな。

癖になっているみたい。

 

 

種を蒔いて、芽が出て、蔓が伸びて、花が咲く。

 

過去のしんどかった出来事は、花が咲くまでのただのプロセスなんだ。

 

そこに気がついて、否定していた部分に「いてくれてありがとう」と声をかけたら涙が出た。

 

否定されてた部分としては、気づいてくれてとても嬉しかったみたい。

 

自己肯定感が高くてもいい。

自己肯定感が低くてもいい。

 

それはただ、プロセスに過ぎないのだから。

 

ジャッジのない視点でただ在りたい。

 

息子を怒ったときの罪悪感の元は、自己肯定感低かった自分への否定だった。という話でした。

 

 

コンフォートゾーンを抜ける、二つの方向性

コンフォートゾーンを抜けるとき、方向性は二つあって。

 

 

イメージとしては「上」に抜けるか「下」に抜けるか。

 

上に抜けるのは、今より良い・高い(と思われる)方向。何かを付け足す方向。

下に抜けるのは、今より悪い・低い(と思われる)方向。何かを止める方向。

 

 

上に抜けるの例。

 

私なら最近、継続セッションを「20万円です」と伝えたこと。

 

今まで言ったことない額。

過去に4万円って言った時も、5千円って言った時も、その時はそれがコンフォートゾーンを超えてたからドキドキした。

 

20万円は明らかにコンフォートゾーン超えで。

とてもドキドキしたんだ。

それからしばらくは20万円でセッション提供することについて、すんごいストレスだった。笑

 

でも今はだいぶ平気になってきてる。

やったことないからドキドキしていただけなんだ、って分かってきた。

 

 

コンフォートゾーンを下に抜けるの例。

 

二ヶ月くらい前まではずっと、ツイッターのプロフィールに書いていた「お申し込みはDMまで」

 

これを消した。

 

セッションの申し込み窓口をどこにも出さないということ。

消した方がいいって体はわかっているのに、それは方向としては悪いものだと、どうしても捉えていた状態で。

 

これは私にとってはコンフォートゾーンを抜けることだった。

そこにすごく執着があったから、ずっと消せなくて。消すことはドキドキしてた。

 

正確には、消したいと最初に思った時にはできなくて。

いよいよ執着がなくなった時にすんなり消せた。

 

申し込み窓口消してから、バンバン申し込み入るようになって。笑

 

(さらに正確にいうとツイッターで申し込みを募っていることの方がコンフォートゾーンで無くなっていたんだ。

居心地悪くて、違和感で。

 

止めることはコンフォートゾーンを抜けることでもあり、真のコンフォートゾーンに向かう事でもあった。)

 

 

そういう話を、きのまいこさんのMCI研究会で話したら、それはコンフォートゾーンを下に抜けたんだって教えてくれて。

 

なるほど〜!って思った。

 

 

何かを止める、今より悪くなると思われる方向のコンフォートゾーンを抜けるもあるんだなって。

 

 

最近では「集客のために毎日ツイートする」とかもやめてる。

 

最初は、ちょっとだけドキドキしたけど、すぐに慣れて今は快適だ。

 

 

以上、コンフォートゾーンを抜ける二つの方向性について。よかったら参加にして〜。

 

 

 

 

都会的かつ洗練された空間を楽しむことが不足していた件。

先日、息子に対するイライラが募り。

 

我慢してないつもりで色々我慢していたことに気づいた。

 

chiha3339.hatenablog.com

 

毎日自分を満たすということはやっているのだけど、最近はかなりやっつけ仕事的に行っていたなとも思った。

 

私のサヌキがアワに対して、君ってこういうの好きなんでしょ?こういうので満たされるんでしょ?っていう感じで。

その日のアワの声を聞くと言うよりは決めつけてやってる感じ。 

 

そして満たしをしても、サヌキが強くてアワに味わうことを十分にさせず。

 

満たすことが作業的だったんだ。

それでも、過去の自分と比較したら、かなりいい状態だけど。

 

ここからまた自分を満たすということを丁寧にやっていこうと思った。

 

 

自分の内側の声を聞くと、都会的で洗練された空間、ラグジュアリーな空間で過ごしたがっていて。そういうのが不足している感。

これはLDMのVIRAPで出てくるビジョンとも繋がってるなって思った。

 

最近は自然に触れ合うことはやっていたけど、洗練されたラグジュアリー空間って、全くといっていいほど行ってない。

 

多分、子供産んでからそういう場所とは無縁。ってことは5年以上。もう限界だ。

 

で、今日はすぐに行ける都会的で洗練された空間に行くことにした。

(本当は銀座とか行きたい)

 

 

今日は、朝、奈良に行って鹿に煎餅あげたいなって思ったけど、夜大事な予定があるから。奈良は弾丸で日帰りでも難しかったんだ。

(洗練された空間ではないけど、これも私がずっと行きたくて我慢してると思っていることなのだ。もうそろそろいい加減、鹿に煎餅あげに行きたい。鹿が待っているんだ。中宮寺も行きたいし。奈良には会いたい人もいるし)

 

そういうわけで今日は金沢に行った。

駅周辺は数年前に新幹線が来てからどんどん素敵になっていて。

 

都会的で洗練された雰囲気の場所があるんだ。

都会的といっても、東京とか大阪みたいな本当の都会より、人も多くないし、こじんまりとして、ちょうどいいんだ。疲れにくい。本当の都会は人が多すぎて、道端とかゴミ落ちてて汚かったりするし、妙に疲れる。

 

車で40分。

金沢駅には息子連れて行くとこは、まぁまぁあるんだけど、いつも新幹線見て、パン食べて終わるんだ。それに加えて、私の化粧品をさっと買うくらい。

 

昨年できたハイアットとクロスゲート。まだ行ったことがなくて。

そこならきっと私が喜ぶ空間があると思って。

今日は家族で行ってみた。

 

 

新しくて綺麗で洗練されてて、それでだけで嬉しい。

 

今日はお店の候補を息子に見せて、ここがいいと選んだお店に行った。

 

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 私は糖質はほとんど取らないので、お茶だけ頼んでみんなのを少しずつ味見した。

今日は絶対食べたいものがあるというよりは、ただただ、そういう空間に行きたかったんだけど、どれも美味しくて幸せで。

 

非日常的、都会的で洗練された空間。

 

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 子供がいることで、こういうところに行くのが面倒くなってしまって全然行っていなかった。

もう少し子供が大きくなって時間取れるようになったら子供置いてゆっくりいこう、って思っていたんだ。

 

けど、子供連れてでも行った方がいいな。

 

今度はハイアットの方でランチしたい。

 

何年間も無自覚に我慢していた都会的かつ洗練された空気感を味わうということを、どんどんやっていこう。

相手を心配する心の大元にあるもの。

何ヶ月か前に、「自分の息子が死んだらどうしよう」という不安についてチラッと内観してて。

 

その不安って、息子に対してのものでなくて。

結局は息子を失った時の私自信の悲しみから来てるんだなって気づいた。

 

自分がその悲しみを感じるのが怖い。自分が辛い思いするのが怖い。そんなの私がとても耐えられない。私が失いたくないから息子に死んでほしくない。そういう流れ。すごく自分にフォーカスして捉えてるんだなぁ(それが悪いということではなく、自分にとっては新鮮な発見だったのだ)

 

もちろん、「息子には元気で生きてて欲しい」と言う息子フォーカスの願いもあるけど。

 

私の場合はそれよか、死んだら嫌だ、不安、っていう自分の思いからの「元気で生きてて欲しい」がかなり強いって思った。

 

そこから、相手を心配するエネルギーって相手ではなくて、自分の不安を埋めたくてしてるものなんだな、って気づいた。

 

もちろん、全部ではないけど。

 

例えば、息子が病気になったとして。

ちゃんと治るのかな、大丈夫なのかな?と心配になったとしたら、その大元には自分自身の不安があるんだ。

 

自分の大元にある不安から発する「大丈夫?」って言葉は結局相手のエネルギーを奪いかねなくて。それって相手を案じてるというより、自分が安心したいだけなんだな。

自分が安心したくて、相手の「大丈夫」という返事が欲しいのだ。

 

自分の大元の愛から発する「大丈夫?」ならいいんだろうな。

 

 

以上。

 

子供優先にすることを我慢と感じる時。

ここ最近、息子に対してのイライラが募っていて。

 

息子にイライラしない日なんて基本ないけど。笑

 

すごく気になる、勘に触る、耐えられない。

そういう感覚が日に日に増してきてる気がして。

 

 

毎朝気分で選ぶチンクチャーを、その日はなんとなく「インナーチャイルド」にした。久しぶりに。

 

それから、息子に対する感情に対して、ヒーリングしたり、LDMのツールを自分で使ったりして。

 

そして、ノートに感情を書いてみた。

 

そしたら、とにかく「息子のせいで〇〇できない」という気持ちがすごかった。

 

息子のせいで東京に行けなかった。

息子のせいで夜、気軽に出かけられない。

息子のせいで毎日夕方から夜10時くらいまで何もできない。

 

 

不自由!不自由!!不自由!!

 

不自由!!!

 

 

すごい制限かけられてる感覚。

我慢ばっかりしてる感覚。

 

 

先日、日帰りで東京行くと決めて、飛行機手配しようと思ったら、コロの件の影響で、朝一の便と最終便が運休になっていて。それに乗らないと私のリラクセンスボディセラピー1Dayを受けるという目的は果たせないのだ。時間的に。

 

前後に泊まって2泊3日で行くことも考えたけど、息子を母にお願いしたりすること考えたら、それはそれでとてもエネルギーがいることで。

 

その時は、そこまでして行く気になはなくて。

 

でも、今思ったら、やっぱりすごい行きたかったみたい。

泊まりででも行けばよかったな〜って思った。

そうしたらこんなに不自由な感覚にならなかったと思う。

 

東京の件もそうだし、夜出かけにくいという件も、気づかないうちにずいぶん我慢していたんだな〜。

 

 

最近は毎日、満たされた感覚で生活しているつもりだったけど、まだまだ我慢していることがあったと気づけた。

 

 

本当に自分の心の声をよく聞くのって大事だなぁ。

 

東京の件も夜出かける件も、子供がいるから面倒な感じ、エネルギーがかかりすぎる感じがして、やらなかったんだけど、それって自分のやりたいことに対しての怠慢だったんだ。

 

自分がやりたいことに対して面倒くさがって、やってなかっただなんて、自分でも驚いた。

 

そういう訳で、その日は早速夜出かけた。

息子と一緒にカフェに行っただけなんだけど、楽しかった。

 

 

そういう話を翌日に西村さんにしてて。

 

そもそも育児って、アワサヌキのバランスが崩れやすい。

チャクラが閉じてる、欲求状態になりやすいって。

 

なりやすいって言うか、絶対なるし、ならない人なんていないだろうって思った。

育児していたら、どんなに自分を優先に大事にしようと思っても、どうしても子供優先にならざるを得ない時ってある。

その子供優先を我慢と感じる時は、欲求状態になっているって。

 

とにかく、そういう時は、自分のその時その時の気持ちをちゃんと認めて感じる、ということをやっていくんだ。

 

 

アワサヌキのバランスに関しては自覚していて。

 

どうしても息子といるとサヌキ低次になりがち。

これは特に家にいる時。

家にいると、どうしても家事とか何かしたくなってしていて、それをやってる最中に呼ばれたりするともうダメなんだ。

 

「邪魔するな〜!!」って思う。

 

私のサヌキが目標に向かって行動しているところに、息子がそれを中断するような働きかけしてくるから。

 

これに関しては息子と家にいる時間を出来るだけ減らそうと思う。

応急処置的だけど。だって絶対息子と家にいる時間はあるから。

今はそこを減らせるだけ減らそう。

そしてひたすら私のアワの声を聞いて、満たそう。

 

チャクラのところはそんなに気にしてなかったけど、言われて納得だった。

私、めっちゃ欲求状態が高まっていたんだな。

 

それぞれのチャクラを満たすことをする、LDMのツールで整える、ヒーリングで整えると共に、自分の内側の声をよ〜く聞いて、すぐ叶えられることは叶える、ということをこれまで以上に真摯に丁寧にやっていこうと思った。

 

もし、すぐに叶えられなかったとしても、「そうしたい」という気持ちがあることに敏感にいたい。

そこに気づいててできないのと、気づいてなくてしないのでは全然違うから。 

 

満たす以前の、自分の本音に気づく、ちゃんとみるということを今まで以上にやってこう。

 

「自信のなさ」への多大なる自信とか。

先日の私のブログ記事、きのまいこさんのMCI研究会の感想、まいこさんがブログで紹介してくれてて。

その内容がすごく私好みのことが書いてあったので、まいこさんの記事の内容の感想みたいなものを書きたくなった。

 

まいこさんのブログ記事はこちら↓

ameblo.jp

 

以下、まいこさんのブログ記事の内容を一部抜粋

 

『人はネガティブ方面にはやたら自信を持っていたりするっ😆
 
 
その謎の信頼wをポジティブ方向にベクトル変えるだけなんだよね。
 
 
でもポジティブアッパー系もそれはそれで疲れそうだなとわたしは思うので(今生をポジティブアッパー系で逃げ切るならそれでいいと思うけどw)、一旦『自分は無力である』というのを認めて、そこから委ねも使いつつの現実創造が、わたしは好みというかそういう感じになってるねえ。
 
 
ああ、そうだね、人間の自分は無力。大いなる意識、創造主の自分に委ねる。』
 
ここからは私の読書感想文。
 
うんうん、ネガティブ方向への多大なる自信。自信のなさへの多大なる自信。私も、これはとても当てはまるんだけど、そしたら、私ってめっちゃ自信家だってことだ。笑
揺るぎない自信持ってるわ、って思った。笑
 
ウチの夫なんかも超自信家だな。
 
で、ベクトルを変えるだけだけど、それよりかは、創造主の自分に委ねるっていうのも、同意だな。
 
同意しつつも、まいこさんが言ってることをちゃんと理解できてないかもしれない。笑
 
私が好むのは、
 
ネガティブもポジティブもそのまんま受容して、「ただ在る」感覚。
そもそも、ネガもポジもそういう判断を人それぞれがしてるわけで。
 
全てをそのまま受容して、非二元的な感覚でいるのが、今のところ一番自分の状態としては心地よい。
その「ただ在る」感覚でいると、すべてが喜びにつながってくんだ。
ポジティブもネガティブも超えてる感じ。
 
今のところ、私は現実創造の感覚はとても薄くて。あんまりそこに興味がなくて。とにかく自分が「ただ在る」状態でいたら自分の想定を超えたものが向こうからなんかやってくる、もしくは、体が自然と動いていく感覚で。
 
 
で、ポジティブアッパー系は疲れそうだなってやはり思う。これって人にもよるのだろうか?
 
これで疲れない人いるんだろうか??感覚が麻痺して疲れを感じない、というのなら分かる。そういうのが好きな人もいるんだろうけど、私は全く求めてないなぁ。
 
ポジティブに生きようとして鬱になったし。
 
しかも、ポジティブアッパー系で今世を逃げ切れたとしても、来世どうすんの?!って思った。笑
 
ネガティヴもポジティブも本当にベクトルが違ってるだけの話しで、どっちかに偏るのはしんどくなりそうかも。
 
強いて言えば、ポジティブアッパーよりネガティヴダウナーの方が心地いい。
 
そもそも、私はネガティヴな質が強い傾向にあるから、「突き抜けて、ネガティヴダウナーになろう!」くらいに思う事で、自分のネガティヴを全肯定できる感覚になる。
 
すると体が緩む。そしたら、勝手に非二元的な感覚にはいっていける。ネガティヴ最高♡
 
 
ネガティヴダウナーとか言ってるけど、実はネガティヴもポジティブも両方あって。
 
 
突き抜けてネガティヴな妄想の対極にあるような妄想も結構出てくる。
 
「仕事がぜんぜん上手く行かなかったらどうしよう」って思う反面、「上手く行きすぎちゃったらどうしよう」みたいなのもあって。
 
ちょっと書くのが恥ずかしくなるくらい、ものすごく上手く行ってるビジョンも持ってる。普段はそこはあんまり見ないけど。
 
「ネガティヴな妄想をノートに吐き出して観る」というのはよくやるしブログでもよく公開してる。けど、ポジティブでかつ不安な妄想はほとんど観たことなかったから今度書いてみよう。ちょっと楽しみ。
 
 
新しいことに踏み出していくときのプラス方向の変化への不安と、マイナス方向の変化への不安。
 
 
ベクトルが違うだけで「変化への不安」というところは一緒だな。
変わることって本能的に不安になる。そういうもんだろうな。
 
 
 
昔に比べたら不安感は全然なくなってきてる。こんなに安心感覚で生きてるのは人生初で。
 
でも、変化への不安は当然あるんだ。
これがゼロになることはないだろうな。
 
ネガティヴダウナーとしては、その不安を、感じて全受容して、緩んで流れに委ねていきたいものだ。
 
 

 

後でどうせバレることなのに、隠しちゃうのは何で?

昨日、友人と話してて、その時に話していたテーマから。

 

自己肯定感が低くて本当の自分を人に見せるのが怖いと思っていると、どう考えても後でバレるようなことでも言わなかったりする。言えないんだ。

 

そして、結果的に、隠し事してるようなことになって、後でバレた時に結局隠してた相手との信頼に傷が入ったりするんだ。言えないことで問題が大きくなったりもするし。

 

例えば、子供がおねしょしたとして。

バレたら親に怒られると思って、隠す。

それは絶対にバレることなのに、隠す。

どうせバレるんだから、最初から言えばいいのにって周りは思うだろう。

でも、「怒られる」という恐怖が不快すぎて、言えないんだ。

隠さず言った方が対応が早くできて、布団や部屋の状態も後で対応するよりもいいはずなのに。言わない方が余計に怒られるだろうに。

 

絶対バレるのに隠すなんて、隠してる時の「バレたらどうしよう」っていうストレスがある分、余計に辛いんだ。

 

それでも、知られた時の恐怖の不快が勝つんだ。

これはもう、自分ではどうにもコントロールできないんだ。

恐怖に支配されている。

 

ここで言う「本当の自分」って、その人が自分で自分をダメだと思ってる部分。

そこが知られたら人から嫌われる、非難される、ダメって思われる。愛されない。その人自身がそのように思っている部分。

 

たとえば、私は昔、買い物依存症でクレジットカードで買い物をどんどんして、消費者金融からも借りて、という状態になっていって。

 

その頃の自分の自己肯定感の低さといったら、このうえないんだけど、その当時はそんなことも気づかず。

 

買い物しすぎてお金が回らない自分はお金にだらしがない人。

お金のことをちゃんと管理できないことは恥ずかしいこと。

お金にだらしないなんて、人として最低なこと。その最低行為が周りの人に知られたら人生終わる、くらいに思っていた。

だから、ほんとに誰にも言えなくて。

 

とにかく、「恥」がすごかった。

(恥って、「人からどう思われるか」という、超他人軸な感情だと思う)

 

 

その恐怖心は、当時は感じないようにして逃げていたけど、借金が人にバレたら「死ぬ」くらいの恐怖感。だったと思う。

 

そして、その恐怖感を誤魔化すために、心の穴を埋めるために、また買い物に走るんだ。依存の原理。

 

もちろんそんな仕組みは知らないから、本当に自分ってダメな人間なんだって思っていた。負の連鎖。欠乏が欠乏を呼ぶ状態。

 

私は子供の頃から自分の失敗を隠す傾向にあったと思うんだけど。

それって「失敗する自分は価値がない」「ちゃんとしてないと認められない」という思い込みがどこかで入ったんだ。

 

失敗する自分を見せられないどころか、いつの間にか完璧な自分を演じるようになって。

できる人ふうを装うのだ。

「私はとてもしっかりした人間ですよ〜、失敗もしませんよ〜、勉強も仕事も優秀にできますよ〜、なんでもできますよ〜」って。

 

それは、無意識の癖のようなもので。

 

とにかく自分のミスによって、誰かに怒られるって思った瞬間に、それを隠すことや誤魔化すことを考えるというか。

 

考えるというより、人から非難されることが怖すぎて、言わないこと以外には体が動かないんだ。そういう病気みたいなものなんだ。

 

 

そして、隠すから、今度はいつバレるんだろう。バレたらどうしよう。私、ものすごい悪いことしてる。隠してることへの後ろめたさ、罪悪感。

 

頭では分かってる。いつか綻びが大きくなって、どうにもならなくなる時が来るって。でも、怖すぎて、それを見ることもできない。

バレた時の恐怖を埋めるために体は買い物に動くんだ。笑

 

それは買い物するとドーパミンが出て、多幸感がくるから、その瞬間だけは不安から逃れられるんだ。

(お酒、タバコ、ギャンブル、恋愛…。依存は基本的にこの原理だと思う)

 

しかも、自分が好きな相手、嫌われたくないと思う相手にこそ、とても言いにくい。でも、そういう相手って親やパートナーや仕事関係の大事な人だったりするから、そういう人にこそ、本当は打ち明けた方がいいんだ。笑

だって、自分の言えてないこと、隠してることは、どこの誰とも知らない他人よりも、近い相手の方が色々影響があるだろうから。

 

相手の心境としては、「何でそんな大事なこと言ってくれなかったの?私という人はそれを言ったらあなたを嫌うとでも思ってるの?私って信用ないんだ」とかそういう感じになるかもしれない。それは状況にもよるだろうけど。

 

でも、そういう大事な人にこそ、絶対に知られたくないんだ。

一回しか会わない知らない人にだったら、まぁ言うことはできる。

 

私なんか貯金ないどころか借金だらけだったのに、親や友人とお金の話になった時に、貯金ある人ふうに装っていた。笑

嘘つきたいんじゃなくて、ダメな人って知られる恐怖から結果的にそうなる感じ。だって貯金ある前提で相手から話されたらね〜。

 

いつもちゃんとしてる人を演じているから、周りからも貯金ある人に見られたりして。そんな状況で「実は借金だらけです」なんて、絶対に出すことはできなかったのだ。

 

とにかく、ダメな自分を隠すために鎧を何十にも着て。鎧を着るほどに、本当の自分を見せるのが怖くなって。悪循環。

 

そして、その鎧の自分が本当の自分なんだと思い込んでいくんだ。

完全に嘘っぱちの自分なのに。

 

そもそも、本当の自分が何なのかも分かってない状態で、どんどん鎧を着ていっているから。もうめちゃくちゃだ。

 

「人は感情で動く」と言うけれど。

 

恐怖という感情で、自分のダメな部分(ダメと思いこんでいる部分)を隠すという方に動くんだ。

 

あなた自身がそういう傾向あるなら、参考になったかな?

ついつい隠しちゃうのは、そのままの自分に自分でダメ出ししてるから。ダメな自分を受け入れられてないから。自己肯定感が低くて、人からの評価がとても大事で。ダメな部分が知られることは死に値するくらいの恐怖だから。

 

そういう人が周りにいて「何で言ってくれないの?」って思ってる方、参考になったかな?

 

相手が隠しちゃうのは、あなたのことを大切に思ってない訳ではなくて。

それは相手自身の問題で、その人が自分がそのままで生きてていいんだっていう感覚と繋がれなくて、そうなっちゃてるんだ。

(ちなみに、あなたがするといいのは、相手をどうこうするところよりも、まずは相手に隠しされて悲しい気持ち、ショックな気持ち、そこを見ることだ)

 

「どうせバレるのに言えない原理」はこういうことです。

 

じゃあ、どうやったらそこから抜け出せるのかも書きたいんだけど、また気が乗ってきたら書く。