「はずかしい」はどこからきたのか?2

前回の続き。

chiha3339.hatenablog.com

 

集合的無意識のこととか、宗教と性とか考えると収集つかなさすぎるので、ひとまず自分のことを考える。

 

たとえば、今、家にドロボーが入ったら、迷わず警察に電話するだろう。

では、今、レイプされたら、迷わず警察に電話できるか?場合によってはできない気がする。

 

この違いは何?

もし、その動画を撮られてて脅されてたりしたら無理かも→動画を夫や他人に見られたらどうか?裸を見られる、セックスしてるところ見られるのはずかしい。見られたくない。これはなんで?これは恥の集合的無意識につながってる感じもする。

「レイプされた方が悪い、落ち度があった」と自分で思う。もしくは意図からそう言われる恐れ。こっちは自己否定感かな?

これって多くのレイプされた人が思うことなんだけど、なんでだろうか?

 

レイプは法的には性器の挿入がないとレイプと言えないらしいけど、ここでは私の定義で「嫌がってるのに、もしくは幼くて意味がわからないのに誰かに性的な何かをされたこと」とする。

レイプって自分の意思が無視(否定)されるし、そこから自分の価値も否定された感覚になる。自分をぞんざいに扱われることによって自分の価値が無くなったと感じる(私の場合)

 

あとは、また集合的無意識が関係ありそうだけど、「処女であることの価値」みたいなものも関係してる??非処女だから価値がない、みたいな。

 

やっぱりよく分からなくなる。

 

迷宮入り。笑

 

ただ、こうやって考えていると、自分自身は性に対して否定的ではないのが本来。それは間違いなさそう。

 

こういうことを考えてたら、「はずかしい」と思っていたことが、かなりどうでも良くなってきたのだけど、まだまだスッキリはしないな。

 

あ、「恥」についても考えたのだけど、恥って他人がいなかったら芽生えない感情だと思う。宇宙に自分一人だったら「はずかしい」ってない。

 

自分でよく分かってないことを書くから、よく分からない内容になったなぁ。