1000の晴れ

そのままの自分で生きる私の素直な表現

感染症って「悪」なのか?死ぬことって「悪」なのか?

この記事2500文字くらい。4分前後で読めるかな。

 

インフルエンザに感染してはいけないのか?

水疱瘡に感染してはいけないのか?

ノロウイルスに感染してはいけないのか?

おたふく風邪に感染してはいけないのか?

 

ウイルス感染して発症してはいけないのか??

 

そりゃ、感染して体がしんどくなったりするのは嫌だ。どこかが痛かったりするのも嫌だ。

楽しい予定が入っている日に発症してたら、行きたくても休まなきゃならなかったりするだろうし。

仕事の日に発症したら、休まなきゃならなくて仕事仲間や関係者に予定の調整などフォローしてもらう必要も出てくるだろう。そのことで必要以上に申し訳なく思ったりする場合もあるだろう。

 

だから、わざわざ感染したいと思う人なんていないだろう(一部の人を除いて)

 

でも、生まれてから死ぬまでの間に、一回も何の感染症にもならない人なんているだろうか?それはあり得ることだろうか?

 

自分の体験から、感染症って生きているかぎりは、当たり前に起こることだと思う。

 

先日、滅多にならない胃腸炎の症状があって。夫と私が同時期に発症したから、おそらく、なんらかのウイルスか細菌だと思う。

悪寒、倦怠感、発熱、食欲不振、とにかくしんどすぎて体を起こしていられない。

それで2日間寝込んだ。

梅肉エキスとか塩をお湯に混ぜて、多めに摂ってとにかく休めるだけ休んだ。

本当にしんどい2日間だった。

でも治ったあと、胃腸炎発症する前より体調が良くて。感覚的に体がリセットされたような感じで良かった。

 

感染症やそれ以外の病気でも、症状を出すことで体を調整しているっていう考え方があるけど、私はそれは本当だと思う。

それに、感染することで免疫力がアップするし。

仮に子供の頃から何の感染もせずに生きてこれた人がいたとして。その人、何かがきっかけで弱いウイルスに感染したら、おそらくみんなには弱いウイルスでも、その人にとっては強いウイルスとなるかもしれない。

キス病とか、絶対子供のうちにかかっておいた方が良いものがあるのって割と有名じゃない?

 

症状が出ている時は辛いし本当に嫌になる。

でも、それは「悪」ではないと思う。

「いけないこと」ではないと思う。生きている限り当たり前のことだ。

 

感染して発症したら、それを受け入れる。過ぎ去るのを待つ。できるだけ早く過ぎ去るような工夫をする(←原則、薬で症状抑えるとかではない。笑)

 

一般的に軽い症状で済む感染症でも、免疫力や年齢、体調によってはそれがきっかけで死ぬことだってあるだろう。

老人福祉分野で10年働いていたんだけど、元気な高齢者がコロッと亡くなることは時々あった。すっごい元気な高齢の方が風邪ひいて肺炎になって数日〜1週間くらいで亡くなるとか。それは、高齢でなくてもあり得ることだ。死は悲しいことではあるけど、人はいつか必ず死ぬわけで。

 

死だって嫌だと思う場合が多いだろうけど、悪ではないだろう。

 

例えば、星だって誕生から死まである。

太陽だっていつかなくなるんだ。それは人間の寿命に比べたらすご〜く長いけど、必ずいつか消えるんだ。それが自然の摂理ってものだ。星が死ぬことを「悪」とか「いけない」と感じる人はさすがにあんまりいないんじゃないかな。

 

星も死ぬ。人も死ぬ。

生まれた以上は必ず死ぬ(少なくとも肉体はそうだろう)

 

そりゃ、病気や死に、あらがいたいと思うことだってある。多々ある。

私は流産と死産を体験している。まだ、生まれてはいなかったかけど、私的には「お腹の中で自分の子供が死んだ」という認識だ。

この2つの死を受け入れるまで相当苦しかった。苦しいって言葉だけでは言い表せない。

でも今では受け入れられているどころか、体験して良かったと思える出来事に昇華されている。あの死は「悪」ではなかった。今の私の受け止め方だと、あの子の死は「光」だ。

 

chiha3339.hatenablog.com

 

あえて、善悪という視点で見たとき。

どんな出来事にも善悪はなくて。いや、善悪の両方がある、という言い方もできる。

病気や死が「悪」だという時、そこには「善」も存在してるはずだ。

胃腸炎でしんどかったのは「悪」

胃腸炎後に体がリセットされてより元気になったのは「善」

 

死産で心身ともに地獄の苦しみを味わったのは「悪」

死んだ我が子と対面した時の非二元的な神秘体感ができたことは「善」

 

両方の側面を見ることができるかどうかじゃないだろうか。

 

あ〜、最初に書こうと思ったところからだんだんずれてきているかも。笑

まぁいい。

 

なんかゴータマ・シッダールタのエピソード思い出した。

子供を亡くしたことを受け入れられない人がいて。彼女に対して「『死人を出したことがない家から』何か(←忘れた)もらっておいで」というやつ。

死人が出たことがない家は一件もなくて(当たり前なんだけど)、それで死を受け入れられるようになった、というやつ。

 

生まれたら、病気とか、怪我とか、当たり前だ。

病気になったことない人、怪我したことない人は、いないだろう。

 

箱にいれて保護しておけば、病気も怪我もしないかもしれないけど、間違いなくメンタルが病気になるだろうし。そこから肉体も病気になるだろうし。怪我はしないかもしれないけど箱の中で自傷しだすかもなぁ。

 

生まれたら死ぬもの、当たり前だ。

 

でも、最近では世の中が「感染してはいけない、病気になってはいけない、死んではいけない」みたいな感じになっている気がして。違和感しかないんだ、そういう考え方は。

 

だって全ての人は必ず体験すると決まっている事象なのに。

 

テクノロジーによって寿命を伸ばしたり、病気にかかりにくくしたり、そういうことはできるかもしれないけど、死をなくすことや、病気をなくすことはできないだろう(できないというか、なくさない方がいいと思う)

仮に、病気や死が亡くなったとしても、人は生きている限り、なんらかの苦しみや辛い体験は必ずあるわけで。反対に、喜びや楽しみの体験もあるわけで。

どっちかしかないなんてこと、ある??

 

そういうわけで、「感染症や死を『悪』という視点だけでみるの、やめましょうよ」と言いたかった記事でした。

 

その場で出てきたことを書いていて、相変わらずまとまりない文章だけど、このまま投稿。